よくある間違い・勘違い

このページでは先祖に関して注意すべきことについて説明していきます。

「下がり藤だから藤原氏だ」→いいえ、家紋だけでは先祖は辿れない

初心者は「下がり藤だから藤原氏だ!」などと短絡的に考えがちですし、
家紋で先祖がわかるかのような本がたくさん出版されていますが、
基本的に家紋だけでは先祖は辿れません

一族同じものを使っているわけではなく、分家の際に変えたり、何か祝い事があって変えたり、何かを祈念して変えたり、上司などからもらって変えたり、代々の家紋がわからなくて好きなデザインを選んだり、あやかりたかったり、など変わることはよくあります。系図の仮冒と同様、有力氏族(例えば藤原氏・源氏)の一族ということにしたいとか、藤原氏でないけどそう思わせたいとかいう政治的理由で藤紋を付けるということもありえます。いかに珍しいデザインであっても、数代前の人がそれを参考にして自分の家紋にしたとか、偶然の一致ということもありえます。

逆に、藤原氏でも全然藤紋ではない家紋の家系もあります。

家紋で先祖がわかると主張する本が売られているのは、そのような内容であれば簡単そうで読者ウケするからです。テレビ番組で専門家風の人が言っていた、という場合も簡単に信じてはいけません。きちんと専門書に当たるなどして自力で裏を取りましょう。

とりあえず、「源氏車だから笹竜胆だからうちは源氏だ」とかいう安易な決めつけは絶対に止めましょう。このようなことは、自分の先祖を数家系調べていれば数年内に納得出来るはずです。

実際には

家紋は、菊紋・葵紋等の一部を除き、比較的自由に付けたり変えたりすることができました。

上司や部下から譲渡されたケースや、偽系図と同様、自家の権威を偽装するために名門氏族の家紋を自家紋とするケースもあったようです。結局は男系をはっきりさせなければ、あなたの本姓が何氏なのかははっきりしません。

また、同じ家紋だったとしても、全く無関係な家系でも同じ家紋を付けているケースがあるため、必ずしも同族とは限りません。家紋は、理論上は偶然に同じデザインになることもありえますし、譲渡したり、参考にしたり、流行したりしたものを全く別の家系がそれぞれ使用するということもあります。

同姓・同苗字だったとしても、江戸時代以前は、空き家に移り住んできた人がその名字と家紋を使用したというケースもあったようですから、周辺に住む同姓・同苗字の人たちと同族だとは断定できません。結局は系図をはっきりさせることが必要です。

「太郎だから長男だろう」→いいえ、そうとは限りません。

「兄弟の名前が太郎、次郎、三郎ならば、長男、次男、三男なのだろう」という推測していませんか?

確かにそうであれば、気分的にはすっきりします。
しかし、必ずしもそうとは限りません。

実際、所長の先祖には次のようなケースがあります。

  • 3兄弟全員が「○太郎」
  • 3兄弟全員が「○次郎」
  • 長男が「○五郎」、五男が「小一」

このようなケース、特に3番目のケースでは、兄弟関係を真逆に誤解することになりかねません。よくよく注意して確認しましょう。

「先に死んだから親だ」→いいえ、子が早世することもあります。

親が子より先に死亡するというのは、一般的な傾向ではありますが、逆の場合もあるということは誰でもご存じだと思います。しかし、顔も知らない先祖の場合、うっかり勘違いしてしまうこともありますから、よく注意しましょう。

所長の先祖についてある県史に親子関係を真逆に書かれているものがあります。おそらく、息子夫婦の没年月日がが親夫婦より先にだったので、勘違いしたのでしょう。死因はわかりませんが、流行病などで若い世代が死亡するということもありえるわけです。

除籍簿や墓石、古文書に続柄が書かれているので、県史が間違っているのですが、歴史家ですらこのような間違いをおかしてしまうのですから、皆様もご注意ください。

「この苗字は藤原氏らしい」「うちは清和源氏の家系だ」→いいえ、男系で繋がっているか確認が必要

苗字辞典や、苗字を特集したサイトを見ると、「『○○』という苗字は清和源氏」などと書いてあります。

しかし、藤原氏や源氏、平氏などの本姓・氏族は男系の血統のことですので、男系の先祖を辿らなければ何氏なのかわかりません。

苗字辞典で書かれているのは、その苗字の初代の人物が何氏かということです。初代が桓武平氏でも、2代目が橘氏からの婿養子だったら、2代目以降、次に婿養子が入るまでは橘氏です。

しかも、全く異なる由来から、同じ苗字を称している家系もたくさんあります。これは、大抵の苗字に、複数の出自氏族名が挙げられていることからもわかるでしょう。

ですから、安易に「苗字辞典に書いてあったから、うちは藤原氏だ」と思い込んではいけません。男系先祖を辿って確認しましょう。

実際には

源氏・平氏・藤原氏等は本姓といい、本姓は男系の系統の名です。一方、苗字(名字)は、家系の名前です。

婿養子が入っていた場合、男系=本姓が変わっていることがあります。本姓は男系ですので、原則として天皇から新たに賜姓されなければ変わりませんが、名字は婿入り・名乗り変更等により変わります。

そのため、○○家の初代は清和源氏だったとしても、2代目が藤原氏からの婿養子だったら、2代目以降の本姓は藤原氏となります。せいぜい、初代は清和源氏だったのかもしれない、と言えるに過ぎません。

さらに、昔は血統の良し悪しが大事でしたから氏族を偽装した偽系図を作った家が少なからずあったことはよく知られていると思います。そのため初代ですら、しっかりと男系を確認しなければ清和源氏かどうかは確定できません。言い伝えを鵜呑みにせずに、清和源氏という情報はヒントとして、とにかく、男系を辿って検証することです。

これについては、戦国時代の時点で、賜姓によらずに政略的理由から養子入りして本姓を変えるという例もありましたし、江戸時代くらいにはすっかり混同されていたようです。

上述の理由ほか、名字は、各地の同名地名をそれぞれ名乗ったために発祥地が異なるケースが多く、しかも明治の苗字必称令により好きなものに変更したりしたケースもあるため、姓名事典等に桓武平氏だと記載されていても、あなたの本姓が本当に桓武平氏かどうかはわかりません。男系を辿り、苗字の発祥も辿らなければなりません。

 

「うちの先祖は刀を持っていたから武士だった」

歴史教育の間違いが原因の誤解です。脇差(約60cm前後以下)などは庶民も持つことができました。

「江戸時代は移動の自由はなかったからずっと同じ所に住んでいたはずだ」

歴史教育の間違いが原因の誤解です。出稼ぎや旅行、引っ越しも実は結構ありました。

「江戸時代の庶民は名字がなかった」「明治になって好きに名乗った、殿様に付けてもらった」

歴史教育の間違いが原因の誤解です。公称することができなかった(行政手続等で使用できなかった)だけです。多くの庶民家は、私称として継承し私的に使用していました。

殿様に付けてもらった家系もないわけではないでしょうが、現実的に想像してください。領民というだけで、領民全員に付けるでしょうか?都市伝説の類いかと思われます。

地区内に同じ苗字が多いのは、同じ一族の本家分家だからでしょう。