辞典・郷土資料・除籍簿も鵜呑みにできない

活字・テレビ・教授を鵜呑みにする人たち

世の中には、書籍やネットなど活字になっているものを読むと、書いてあることを事実だと思い込んでしまう人が結構います。特に郷土史や専門書の記述の中に自分に都合のよいものを見つけると、執筆者の思考過程等の検証もせずに喜んで引用したり自説の根拠にしてしまう人がいます。ドキュメンタリーや情報バラエティなどのテレビ番組で、ひどければ司馬遼太郎の時代小説や大河などの時代劇で見聞きしたことを事実だと思い込んでしまう人も相当いるようです。

しかし、執筆者自身の事実誤認や誤解、元データの妥当性、記載ミス(転記ミス)などの問題などがあり、活字になっているからといってそれが事実とは限りません。新たな発見や、新たな解釈などにより、定説が覆ることはよくあることです。

鎌倉幕府の開始年が従前の説よりも数年早まったことからもわかるように、歴史学においてもそれは妥当します。特に古文書の多くは崩し字で書かれているために、読み間違いや転記ミスが起こりやすいです。

フィクションを真実と思い込むことがどれだけおかしいことかは、いうまでもないことですが、映像の影響力は計り知れないものがあります。いずれにせよ、テレビ番組は視聴者ウケを狙って面白おかしく脚色して構成しているものですし、放送後に有識者が訂正を求めても、一度信じてしまった視聴者にそれが届くとは限りません。

「難関大学出身の教授が言ってるから」とかいうのも信じる根拠にはなりえません。同じテーマについて、難関大学の教授たちが異なる説を唱えている、つまり解釈をしていること少なくなく、そのような場合に「難関大学出身の教授が言ってるから」という判断基準ではどちらが正しいか判定することはできないでしょう。

調査会社の調査結果も鵜呑みにはできない

先祖調査会社が納品してきた調査結果も同様に鵜呑みにはできません。調査会社の調査能力の問題もありますが、能力は十分でよくよく注意を払っていたとしても、存在する史料がたまたま見つからなかったということもありえます。もし、見つけられなかった史料が見つかっていたら違う調査結果になっていた可能性があることを忘れてはいけません。「専門家に頼んだんだから」「何十万円かけて調べてもらったんだから」というのは全く調査結果を鵜呑みにしてよい理由にはなりません。

辞典も鵜呑みにできない

辞典を見ると無条件にその内容が正確な事実であると信じ込んでしまう人も世の中には多いようですが、『姓氏家系大辞典』を初めとする家系や家紋に関する辞典類も、やはり鵜呑みにするわけにはいきません。

少し想像すればわかることですが、何万の苗字・家紋について情報収集するだけでも大変であり、情報の正確性を担保できるほどの裏付けや吟味を一つ一つ行うことは物理的に不可能ですし、誤字脱字・誤記・事実誤認など十分にありえることであり、特に古い辞典の場合はその後の研究成果が反応されていません。

そもそも、何万という苗字や家紋が掲載されていたとしても、それは各苗字・各家紋についての代表的なものに限られ、すなわちあくまで少数例であり、大概の家系については掲載されていません。あくまで<先祖調査のためのヒント>という心づもりで参照するに留めるのが親戚や子孫に誤伝を伝えないために絶対に必要なことです。

郷土資料も鵜呑みにできない

郷土資料もそうです。特に郷土史は、1970年代前後に編纂のブームがあり、その時点での解釈に過ぎず、学者の研究が盛んでない地域の方が多いですので、発行後数十年間が経っても、記載の妥当性の検証がなされていなかったり、新たな発見や研究の進展などが反映されていませんし、誤認して記載されているものもあります。しかも、史学専攻出身でもない地元の有志や高校の教師などのアマチュアが執筆していることも少なくありません。

確かに郷土史編纂事業に参加された方々は大変なご苦労をなさったと思いますが、「公的機関(市町村)がお金をかけて発行したものだから正しいんだ」という考え方は事実を見誤る危険があります。

できる限り一次史料に当たる

史料学上、郷土史のように歴史をまとめた文献は二次史料として扱われ、史料批判が必要とされ、一次史料より劣るものとされます。ですので、できる限り、郷土史の記載の根拠になっている一次史料に当たって、自分は一次史料をどう見るかを考える必要があります。

一次史料とは、記載内容の出来事があった当時に当事者によって記録された史料のことです。二次史料とは、一次史料をもとに内容を整理したり、史学的考察を加えたりなどした編纂物のことで、郷土史や研究書はもちろん、古事記や日本書紀も実は二次史料です。二次史料を元にした研究書や編纂物を相対化して三次史料などということもあるようです。

もちろん、一次史料自体が記録者の主観によって書かれていますし、言葉足らずとか事実誤認とかがありえますので、一次史料に記載されていることを鵜呑みにするわけにはいきません。また、昔になればなるほど一次史料は残存していませんので、古事記や日本書紀のように、二次史料ではあるけれどそれに頼らざるをえないケースも少なくはありません。しかし、研究書や郷土史については、比較的最近執筆編纂されたものですので、元となった史料に当たれないということは少ないですし、少なくとも記載内容の出来事があった当時から相当に年月が経過してから執筆されたわけですので、その記載が妥当な理解なのかということを自分なりに考えなければなりません。そのために一次史料といった原史料が必要となるわけです。

 

郷土資料における事実誤認の実例

事実誤認の実例として、栃木県教育史編纂会『栃木県教育史 第二巻』栃木県連合教育会(1957年)173頁があります。ここには、所長の父方祖母の家系に関する記載がありますが、事実としては所長の6世祖父白石立敬が7世祖父白石松立より早世した(8世祖父白石賢立―7世祖父白石松立―6世祖父白石立敬という親子関係が正しい)のですが、同書の執筆者は、没年だけを見て「先に死んだのが親だろう」との思い込みから、親子関係を逆に記載しています(立敬を賢立の子とし、松立を「その子」=立敬の子としている。つまり白石賢立―白石立敬―白石松立という親子関係にしている)。

除籍簿も鵜呑みにはできない

除籍簿も疑ってかかる必要があります。

実例① ウ冠がワ冠に

所長の父方冨田家は、会津富田氏の明治期からの分家の分家であり、『冨田家年譜』や江戸時代に勤めていた相馬中村藩の家臣の系図集である『衆臣家譜』ではウ冠の富なのに対し、戸籍上はワ冠の冨となっています。祖父の話では、学生時代に教師に指摘されるまでウ冠だと思っていたとのことでしたから、冨田家では代々、ウ冠の「富」だと思ってきたと考えられます。これはおそらく、戸籍吏がウ冠をワ冠に書き間違えたか、上の点がいつの間にか欠落してしまったものと考えられます。ですので、こういった場合もありますし、そもそも江戸時代や明治期などでは偏の位置が書き手によって違ったりすることも珍しくありませんでしたので、例えば「崎」と「﨑」と「嵜」の字を別物としてこだわって先祖調査をすると、見つかるものも見つからないということがありえます。「渡辺」「渡邉」「渡邊」や「齊藤」「斎藤」「斉藤」なども同様です。

実例② 崩し字だと似ている字

除籍簿の字を疑ってかかるべき実例としてはあと2つあり、除籍簿上、所長の8世祖父の苗字に「岡」の字が使われているものがありますが、現地調査をすると現住民にも土地台帳にもその名はなく、代わりに「宮」の字を使った苗字はあり、どうにも「宮」の字だったのではないかということがありました。というのは、崩し字にすると、「岡」の字は「宮」の字によく似ているのです。楷書体では全然別の文字なので、現代人の我々は全く似ても似つかないと考えてしまいますが、戸籍吏が手書きで戸籍を書いていた時期に崩し字を誤認して別の字を書いてしまうということはありえるわけです。もちろん、比較的近い家系であれば、そのような誤記があれば「本当は○○という苗字なんだ」という言い伝えくらいはありそうですが、最古の除籍簿にしか載っていないような全然付き合いのない家系の先祖を探すとなると、そういった戸籍吏の転記ミスの可能性も考慮しなければなりません。

実例③ 右衛門と左衛門

別の例としては、同じ人物について「右衛門」と記載されているのが、その前の除籍簿では「左衛門」と記載されていて、どっちが正しいのかということもありました。これは単純に転記ミスだと思われますが、調査者としてはどちらが正しいのか迷ってしまいます。この例では幸い、子孫家が見つかり、「左衛門」であることが判明しましたが、探す際にいちいち「右衛門かもしれない」と説明したり、「右衛門」も探すのは手間でした。ただ、「右衛門」と記載された除籍簿しかなかったら正しい「左衛門」は見つけられたかわかりません。子孫家が除籍簿の記載を信じれば「別のお宅では?」といわれかねませんでした。

まとめ

以上のとおり、活字になっているからといって鵜呑みにすることは極めて危険な態度です。資料や研究書を読む時は、執筆者が違っても変わらない<事実>と、執筆者によって変わりうる<解釈・評価>は峻別すべきですし、<事実>自体の事実誤認・転記ミス・記載ミスがないかもよくよく確かめるべきです。そして<解釈・評価>はあくまで参考意見と考えるべきであって、事実として捉えるべきではありません。

もちろん、日本の歴史は2000年以上ですし、それだけの時間を追うのも大変なのに、時間は1地点だけでなく全国で進行しているわけですから、相当に膨大な範囲となるわけで、すべての史料を集めて一から吟味して歴史を洞察するというのは人間にはほぼ不可能な作業です。ですので、先行研究を参考にして考察するのは不可欠です。しかし、先行研究も時とともに新説が提唱され、それが有力視されれば、それを前提にして検討することになるわけですので、常に知識の更新が必要といえます。

「そうは言っても…」

「そう言われても歴史学について自分は知識や判断力はないのだから」という人もいるでしょう。しかし、自分に知識や判断力がないことと、歴史書等の内容の正誤とは全く無関係です。自分に知識や判断力がないからといって、内容を真実だとして鵜呑みにしてよい理由にはなりません。十分な知識や判断力が付くまでは、こういう解釈をしている歴史書もあったと情報収集に徹しておくに留めましょう。決して、鵜呑みにしやすい人たちに「歴史書にはこう書いてあったんだ」などとペラペラしゃべったり冊子を配ったりするべきではありません。

じつは法学も歴史学に通ずる部分があります。訴訟における事実認定の部分です。証拠(証言を含む)が提出され、それによって当事者の主張の真偽を裁判官が判定するわけですが、だいたいの事件において全容を明らかにできるほど証拠は揃っていません。裁判官は、断片的な証拠を吟味してどんな事実があったかを推測します。この際、裁判官には、事件についての予備知識はありません。事実として何があったかを推論するのは、概ね法的知識とは無関係です。証拠から何とか読み取り何とか認定するわけです。自分に知識はないからといって、両当事者の主張を丸呑みするわけにはいかないことは明らかです。

訴訟の場合は比較的最近の出来事であって当事者を含めて生き証人がいるのに対し、歴史学は大昔の出来事であって生き証人がいないという点が大きく異なりますが、断片的な証拠=史料からどんな事実があったと推測されるかを検討する作業は史学と同じだと考えられます。

郷土史の基本的使い方

先祖調べてますというと、地元の方は大概、菩提寺と郷土史で調べることを連想されるようですが、郷土史でわかるということはあまりありません。よほど有力な家系か、あるいはよほど充実した郷土史でなければ載っていません。

郷土史でまず確認するべきは、出版年、執筆者、資料提供者の情報です。資料提供者は古文書所有者であることが多いですから特に重要です。

史料所在目録(史料集に記載されていることもあるが、別冊になっていることが少なくない)の情報も把握します。所在目録の場合、目録作成時の古文書所有者の住所氏名が記載されていますが、発行後に移住したり文書館に寄託したり代替わりしたりしていますので、住宅地図を見て引っ越してそうなら住所氏名を手がかりに追跡調査することが必要ですし、文書館等の機関(同じ都道府県のものとは限らない)に寄託されていることも可能性として頭におくべきです。

それから、史料集や、通史編の系図・人口・戸籍関係の章、寺社関係の章です。ここに人別帳の翻刻や系図が載っていればラッキーです。寺社関係の章では、古来からある寺社のほか廃寺の情報なども載っていますので、菩提寺がわかっていない場合は参考になります。村絵図もあれば確認しますが、大概は縮小されていて文字が見えにくいですので、現物の所蔵先を把握しましょう。

その後通史編のうち、目的の先祖がいた時代から調べていきます。